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人類とお茶の出会い

歴史的な文献から見ると中国の漢代にあった奴隷売買証文の中に「お茶を買ってくる」という言葉があります。おそらくそれが文献上一番古い「お茶」になると思われます。

しかし、お茶の木が生育していた所と、漢文化の発生したところはとても離れているのです。黄河流域に発生した漢文化には「神仙思想」や「仙薬思想」という思想があり、「不老長寿」を願って植物をはじめ、動物や鉱物までもが利用されてきました。

揚子江(ようすこう)流域の山間地に育っていたお茶を飲んでいた産地民族の間に、この仙薬思想などが普及し、お茶を漢方薬などとして取り入れ始めた様子が記録に残っているわけです。

したがって、実際は記録に残るもっと以前から人類は茶の木と出会っているはずなのですが、その時期を特定することは難しいといえます。

日本のお茶の歴史1

日本茶の起源は、中国から渡ってきたという渡来説と、もともと日本にお茶の木があったという自生説の2つがありますが、渡来説のほうが有力のようです。
日本に喫茶の文化が始まったのは、遣唐使(けんとうし)が往来した奈良・平安時代に、最澄や空海らの留学僧の手によって伝えられたとされています。
記録では延暦(えんりゃく)24年(805年)に最澄が唐からお茶の木を持ってきて、近江の坂本に植えたとあり、これは今での日吉茶園として残っています。

さらに翌年の大同元年(806年)空海がお茶を持ってきて長崎に蒔いたという記録があります。
そして「日本後記」という書物にもお茶が登場してきます。弘仁(こうにん)6年(815年)に梵釈寺(ぼんしゃくじ)の永忠(えいちゅう)が近江の国を訪れた嵯峨天皇にお茶を煎じて捧げたと書かれています。
それがきっかけで嵯峨天皇は近畿地方にお茶の木の栽培を明示、上流階級の儀式や行事に用いられるようになりました。

ところが不思議なことに、この後300年以上に当たってお茶に関する書物及び記録は出てこなくなるのです。

日本のお茶の歴史2

次にお茶についての記述が現れるのは鎌倉時代に入ってからです。
建久(けんきゅう)2年(1191年)に栄西禅師(ようさいぜんし)によって宋の国の浙江省(せっこうしょう)から茶の種子を持ち帰ったといわれています。
その後、栄西禅師から明恵上人(みょうえしょうにん)に茶の種子が贈られ、栂尾(とがのお)の深瀬に蒔いたものが、今でいう宇治茶の基盤になったといわれています。これが有名な抹茶の始まりです。
栄西はお茶の普及に努め、貴族社会でしか飲まれていなかったお茶を武家社会まで広めました。
また栄西がお茶で源実朝の二日酔いを治したという記述が「吾妻鑑」に残っています。

その後、お茶は禅宗との結びつきから茶道という独自の文化をつくり広まっていきます。現在のように、煎茶が日常茶飯事の飲み物になったのは江戸時代になってからです。中国が明の時代となり、承応(じょうおう)3年(1654年) 中国南部の福建省から隠元禅師(いんげんぜんし)が来日し、この前後にお茶の葉に直接お湯を注いで飲む「滝茶式」の飲み方が伝わり、これが広く日本人の喫茶法として定着したといわれています。そして、江戸末期には現在飲まれているようなお茶がつくられるようになりました。

<参考資料>
橋本実 著『茶の起源を探る』淡交社/斉藤光哉 監修『お茶の辞典』成美堂出版
松下智・橋本実・鈴木良雄・南廣子・南久美子 著『Q&Aやさしい茶の科学』淡交社
『日本のお茶Ⅰ・お茶と生産』株式会社ぎょうせい

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